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ハロプロおたくの書き散らし雑記ブログ。

初見でレヴュースタァライトの映画見てきた

まったく初見でレヴュースタァライトの映画を見てきました。 スタァライトのオタクはきっと初見のオタクの悲鳴が聞きたいんだと思うので、ブログを書くことにしました。だって!書きたい感想!いっぱいあるんだもん!!!!

私はというと、普段は2.5の舞台とハロプロを中心に色々な舞台を観に行っているオタクです。観にいったことあるのはミュージカル、演劇、小劇場系演劇、バレエ、オーケストラ、歌舞伎、大衆演芸、ストリップ、競技ダンスやアーティスティクスイミング(シンクロナイズドスイミング)の試合あたりでしょうか。いろんなジャンルの舞台を雑多に観に行ってます。

きっかけはタイムラインに流れてきたツイート。 いま劇場でやっているアニメ映画『レヴュースタァライト』『映画大好きポンポさん』『閃光のハサウェイ』はいずれも感受性が高い時期に見たら人生を狂わすような熱量があるけど、その中でもとりわけスタァライトはやばい。 みたいなツイートが流れてきて、そっか!じゃ観にいってみよ!と思い、次の日のチケットを取ることにした。スタァライトが何なのかもまったくわからずに、グランドシネマサンシャインのベスティアを取った。

ちなみに、緊急事態宣言で映画館にしばらく行けなかったこともあり今週は今までの分を取り戻すかのようにめっちゃ映画館に通ってた。 1日目は劇場版2gether、2日目はレヴュースタァライト、3日目は映画大好きポンポさん、4日目は閃光のハサウェイを観てきた。意図せず全部シリーズものの劇場版だし、全部シリーズ本編見ないままに劇場版を観る初見プレイになっちゃった。 先週はFGOの映画を観たので特盛映画週間をセルフ開催してる。毎日仕事終わりに映画館だよ!た、たのし〜〜〜〜!!!映画館って最高だ!

感想については、本編のことをまったく知らずに書いているのでたぶん的外れなこともあると思うんですがご容赦ください。

この映画を観てみて、舞台界隈の人に説明するとしたら『スリルミーやequalなどの濃密な二人芝居を東京ドーム規模の演出で浴びせてくる映画』と説明するし、キンプリ(※KING OF PRISMのほう)のオタクに説明するとしたら『いろんな作風のEZ DO DANCE的バトルが立て続けにたくさん浴びれる映画』と説明する。

そう、ほんとにね、レビュースタァライトまったく知らずに劇場に行ったんですよ。 知ってるのは少女が決闘するらしい、っていううっすらした知識だけ。どんな話なのかも、どんな声優さんが出ているのかも、いつ時代のどんな場所を舞台にした話なのかも知らない。 メインビジュアルを見てから、あ、この絵柄前に西武線池袋駅のでっかい広告で見かけたな、と思い出したくらい。

公演を観に行くのって、役者がどうとか、あらすじがどうとか、この役のここが見所とか。そういうのを知ってればより楽しめるけど、それってより楽しむための付加情報なわけで。結局のところ、板の上で起こったことがすべてなんだよなあとつくづく思う。 この映画版レヴュースタァライトは、そういうのを全部圧倒的な音と画のパワーでねじ伏せてくる。

レヴューと書くのはなんでだろう? 最初『review』かと思っていたんだけど、調べるとフランス語で大衆演芸を意味する『revue』なんですね。それであ〜そういうことか!と納得がいった。 映画を観てから読んだネタバレありのインタビューで、この映画は『観劇だ』って言われていたことの意味が。大衆演芸の公演なんだね。

以前劇団朱雀の公演を観に行ったことがあって。花魁が出てきたかと思えば次の演目は殺陣が始まったり、かと思えば次は歌謡ショー、その次はミニ芝居…といった具合に、様々なジャンルの芸が万華鏡のようにきらきらと目まぐるしく繰り広げられる。 このレビュースタァライトも、そういう意味では『青春のきらめき』『お前の進む道はなんだ?』とか、そういったことを主題とした『スタァライト』という名前の大衆演芸公演なんだなと理解した。

この映画を見始めた時、レヴューの場面になってから奇妙な既視感をずっと覚えていた。この音帝劇で聴いたことある、こういう台詞の言い回し本多劇場で聞いたことある、あの詩はあの本で読んだ。 舞台やミュージカルの音や台詞をそっくりそのまま引用しているわけじゃないから正確には違うんだけど、音作りも台詞の言い回しもあまりに「ぽい」というか、舞台のお約束セオリーが詰まってる。だから舞台を観にいったことがある人だったらどこかの劇場で実際に体験しているんだと思う。 今までに見た舞台が走馬灯のように次々と頭の中を駆け巡っていった。 その公演を観にいった時の感情と目の前で繰り広げられているレヴューが重なって、感情と心をぐちゃぐちゃにかき回された感じがした。レヴューを見ることで過去に見た公演を追体験しているような感じ。

たぶん、この映画を思春期の時に見ていたらめちゃくちゃになっていたかもしれない。けど、今ほど理解できてたかな?とは思う。元ネタがほんとにいろんなジャンルに渡っているので全部理解するのは難しそう。今だって理解しているわけじゃないし。

だからこそ、元ネタを追っていろんな作品に触れるきっかけになるんじゃないかと思う。きっと背伸びしないと理解できない作品だってあるでしょう。でも、そうやってちょっと背伸びして頑張って触れた作品っていずれおのれの血肉になって返ってくるものだと思うからこの作品に思春期で触れたらやばかったろうな〜と思う。

マヤクロのレビュー。 あれ、レビューのペアの中では一番ミュージカルとか正統派っぽい演出になっていましたね。 それはあの二人が学園のエース?っぽい存在だからなのかな?と思った。 舞台の上からたくさんの額縁が吊り下げられているセット。あれは実際に見たことがあって、ウィーン版ダンス・オブ・ヴァンパイアであんな感じのセットがあるんですね。だからあの場面が出てきた時、うわ…見たことある…!って鳥肌が立った。

あと、マヤクロのレヴューは白鳥の湖の要素が入ってるんじゃないかと思いながら見てた。あの二人、オデットとオディールなんじゃないかなあ。……って思ったのは、単純にマヤがレヴューの時そんな感じの衣装着てたからなのと、クロディーヌが進路相談してる時にバレエ踊ってたからなんだよね。 そこからバレエ得意な子なのかな?って思ったし、バレエ得意なんだったら当然白鳥の湖だってバリエーション踊ったことあると思うんだよなあ。

でも、レビューのときクロディーヌは悪魔を象っていたから白鳥の湖の文脈に当てはめるんだったらむしろロットバルトなんだと思うし、そうするとあの二人はオデットとオディールでありオデットと王子でもあり、あるいはロットバルドとオデット…ってコト?!って思いながら見てた。

あとレヴューの舞台セットで出てくる髑髏と薔薇のモチーフってどう考えても西洋美術における『死と乙女』じゃないかなあって思って。 その死と乙女っていう西洋美術史のモチーフも意味合いが時代を経るごとに変遷していくんだよね。最初は『永遠に枯れない花はない』みたいな意味合いだったのが、ロマン派とかの時代に再発掘されたか何かで人の運命を狂わす女=ファムファタール的な意味合いに変遷していったのだよね。 (うろ覚えで書いてるから間違ってても許してほしい)

で、この物語は「死と再生」を主軸にしてるわけだから。 永遠に枯れない花は無い=どんな華やかな役でも幕が下りれば、公演期間が終わればおしまい。 でも死と再生は続くから舞台少女は次の役へ行く。そうやって死と再生を繰り返して、死と乙女のモチーフの意味合いが時代を経て変わっていったように、マヤクロも互いのファムファタールに『成った』なんではないかなと解釈した。

あとレヴューで好きだったのはカオルコさんとふたばちゃんのやつ。 いけずなはんなり関西弁めちゃくちゃいい…

清水の舞台から飛び降りる時、し、心中だ〜〜!!!ってめちゃくちゃテンション上がった。(いや、相打ちなのかもだけど) あのベッタベタに日本的な内容構成のレヴューで心中が出てくるのすごくそれっぽいなと思う。曾根崎心中が当たってから心中物が流行りまくって幕府から心中禁止令が出るくらいだったし。もっとも、心中って世界中の物語で普遍的なテーマだし人気があるんですけどね。

ところで、愛城華恋さん子役でレミゼとかモーツァルトとか出てなかった?(※妄言です)

たぶんあの出演ラインナップだと東宝じゃなくてホリプロ系列の事務所なのかなって思うんだけどまあこれは私の妄言なので細かいこたいいんですよ! 私はね〜〜〜とっても見たいんですよ…民衆の歌を歌いながら一歩一歩大地を踏みしめる愛城華恋さんを。 それからアマデ役でアマデウス・ヴォルフガング・モーツァルトの才能を殺すのも見たい。そしてその数年後に成長した華恋さんがコンスタンツェ役で出演して、アマデウスの才能に振り回されて、才能なんて…!って抱えた絶望を『ダンスはやめられない』に乗せて歌い上げる愛城華恋さん見たくない!?!?めっちゃ見たい!!!

それにしても、レヴュースタァライトでかなりグサグサ刺さったシーンは脚本係の子がまだ脚本できてない、未完なのごめん…!ってみんなの前で謝るあの一連のシーンだった。 物語って、始めちゃえばそれなりに流れていくんだけどピリオド打つのが一番難しいからそうだよね!結末難しいよね!って共感した。ピリオドを打つっていうのはほんとに何より難しい。(今まさに来月のイベントの原稿を書いているので苦しんでいる…)

あとは箇条書きで。

・キリンがトロンプルイユになるのなんでだろう?と思っていたら、ルネサンスとバロックの間をつなぐマニエリスムだから、っていう考察を見かけてなるほど〜と思った。

・なんで運命の果実はトマトなんだろう?こういうのって普通通りのセオリーなんだったらリンゴじゃん?なんで?って考えてたんだけど、トマトはもともと西洋社会に入った時『毒のある観葉植物』としてもたらされたからなんじゃないかな〜と思った。赤くて大きさも似ているから別名『毒リンゴ』とも呼ばれていたようで。 舞台少女は「鑑賞される側」なわけで、毒=芸時に対する葛藤など、と置き換え仮定するとそういう植物を運命の果実として二人でかじるってなかなかエモだなって思った。

・強いお酒を飲んだみたい、って繰り返し言ってるの、あれは、おい!お前も芝居に乗ってぶつかってこいよ!!!ってことだと思うんだけど、ジュンナちゃん真面目だから未成年だからお酒は飲めないよ、ってマジレスしちゃうんだよな。違うんだよそこで即興で役に入って芝居をしてほしいんだよナナは〜〜〜!!(たぶん)ってどきどきしてた

・ジュンナのレヴューで丸い乗り物(?)に乗って弓を射ってたのはディアナのバリエーションから来てるのかな?知らんけど

・ナナとジュンナのレヴュー。 ナナの武器が二刀流の日本刀なのって本人も演技の道か制作の道か、どちらに進もうか迷っているからだったりするのかな。で、レヴューの途中でジュンナが手に取ったナナの刀を「返してよ」って言うシーン。これは単純に私の武器を返してよっていってるんだと思うけど、後から考えてみると「私はどちらの道も取る」ということなのかも、とも思った。

・ナナは演技と制作、どっちも好きで選べないんだと思うんだけど。その反面で、演技やダンスがみんなみたいに圧倒的に上手くできるわけじゃないからすっぱり決められないのでは?とも思う。(本編見てないのでこれは勝手な推測だけど)だって圧倒的に上手かったらそっちに行くと思うので。 だから、自分より圧倒的な才能を持っているにも関わらずみんな道に迷ってて殺したくなるほどムカつく、だからあの電車でみんなに決闘を挑んだ…ってコト?

・最初の電車の上で戦う皆殺しバロックの最後のシーンで血飛沫が降りかかるところ。 血糊が口に入って甘い……って呟くの、あれイチゴ味だからなんだろうなあと思った。以前推しがTwitterで血糊はイチゴ味でおいしいって言ってたのを思い出したので。

・たびたび星に手が届かない、みたいな言い回しが出てくるんだけどそのたびにTRUMP!!!星の轍!!!ってずっと思ってた。星=運命だったらそうだよ手が届かないものだよ…、星とはそういうもの。

・初見で見て大丈夫かどうかについて。これは見に行く人によるんじゃないかと思ってて。舞台のオタクだったら楽しいと思う。これでもかってくらい舞台あるあるが詰まっているので。でも、舞台全く見ない人だったらどうだろうなあ。これでもかってくらいすごい映像を叩きつけてくるのでそういう意味では楽しいと思うんだけど、舞台を見ない人だったら普通に本編見てからの方が理解度が上がって楽しいんじゃないかな〜と思う。

この映画は、ほんとに「見る」じゃなくて「観劇体験」だったなと思う!行こうか迷っている人はぜひ音響のいい映画館で見てほしい!きっと楽しいので!!

おしまい!

今やってる原稿書き上げたらテレビシリーズとロンド・ロンド・ロンド見てもっかい劇場行こうと思います。

⭐︎追記

・キリンが「わかります」って言ってるの、ほんとにわかりみの連続すぎる。 出演している子達のことはほとんど知らない(劇中のセリフとかで、こういう関係性なんだろうなって推測はある程度つく)けど、演劇的お約束演出がいっぱい組み込まれてるので観ててわ!か!る!!!!!ってめちゃくちゃわかりみの連続になる。たのし〜〜〜!!

・『あれ観たことある・聴いたことある』を具体的にぱっと思い出すことができるかなって考えてみたんだけど。マヤクロのレヴューでどっちかが着ていた緑の衣装。あれは続・11人いる!でバセスカ王を演じてた譜久村聖さんがまさに似たような感じの衣装を着ていたんですよね。

ameblo.jp

だし、上にも書いたけど額縁が上からたくさん吊り下げられている舞台セットはウィーン版ダンスオブヴァンパイアで観たし、どの場面かはっきり思い出せないんだけどトランペットがバーーーッと掻き鳴らされているような音(絶望的なシーンでよく鳴ってるタイプのファンファーレ)は、それこそこの作中でもたくさん引用されているシェイクスピアで思い当たるものがある。

それがこの吹奏楽版「オセロ」の第一楽章。もう初っ端の第一音からレヴュースタァライトで『聴いたことある感じのトランペットの咆哮』なんですよね。

A.リード:オセロ 第一楽章 A.Reed:Othello 1st mov. - YouTube

完全に一致しているわけじゃないけど、こうやってちょっと考えるだけで似ている具体例が自分の記憶の中にあるのでほんとに…映画を観ていてわかりみの連続なんですよね。 ちなみに、バセスカ王は信念と立場のぶつかりあいによって親友に殺されそうになる役なんですよね…その親友のフォース(写真に写っている左側の赤い衣装の子)も、バセスカを殺したくはないけど殺さなくちゃいけない立場に追い込まれて、結局はバセスカを殺すことを選べなくて葛藤の末自死してしまう。そういうのをレヴューを見ながら思い出してしまって、うわあああって…なるんですね…

・実際の舞台だと舞台セットの広さとか衣装を着替える速度とか、そういう物理的な制限が加わるんだけど、映像でそういった『物理的な制限』を全部取っ払った結果、ああいうすごい映像が出てくるのかと思うとほんとにすごい。映像は自由だな…!演劇の可能性、無限大すぎてやばい。映像だったら一瞬で衣装を変えられるし、舞台の広さだって好きなだけスペース取れるし、レーザーを何台設置したっていいわけだし!(予算がないとレーザー使えないので…)ひかりと華恋のレヴューでライトが一斉に方向を変えてバーっと照らすやつ、あれめっちゃテンション上がった。あんな数のライト舞台では設置しない(できない)もんな〜!!

・電車のレヴューの最後で血しぶきがバーーッと降ってくるの、あれまさにグランギニョル(残酷劇)ですよね。 あの年代の少女に血の雨を浴びせることについての良し悪しは置いとくとして、演劇的にあるかないかで言ったら『ある』だと思う。実際、東京グランギニョルという劇団がやっていたので。年代的に私はその公演行ったことないんですが、客席にも血しぶきが飛んできたみたいだし下北あたりのアングラ系の劇場だと今でも血飛沫浴びれるタイプの演劇公演やってるのかな…?どうなんだろう。

・本編ってどんな話なんだろう?って気になっておおまかなあらすじを読んでみたんですが、そういう話だったのかよ!!!!!って思った。キ、キリン〜〜〜!!!お前ってやつは!!!!!キュウべぇみたいな存在だったのかよお〜〜〜!!!!!っていま大興奮しているところ。本編の内容を想像だにしていなかったので、まさかそんな話だとは思ってもいなかった。本編履修するの俄然楽しみになってきた。