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ハロプロおたくの書き散らし雑記ブログ。

舞台「四月は君の嘘」を観てきた

昨日、四月は君の嘘の舞台を当日券で観てきた。

……というのも、フォロワさんがその舞台を観に行って、「今年見た舞台の中で一番よかった」と言っていたから興味を持った。
聞いてみると、当日券も余裕で取れるとのこと。
しかも東京公演は今週末まで。私の予定、めずらしく空いてる。 ってことで、じゃあもう行くしかないなと思って観に行くことにした。
四月は君の嘘は原作を4巻あたりまで読んだところでとまってるんだけど、まあなんとかなるかなと思って。

舞台 四月は君の嘘

当日の舞台の様子

当日券で13列目だった。どうやら、その公演は13列目が最後列で、14列目から後ろにお客さんはいなかった。

なんでだろうなあと思ったんだけど、2.5を見に行く層と客層が被らなさそうなのと、いかんせん時期が悪いのかも。
2.5舞台をメインに見るような人は、今はメサイアやっているし、あんステもすぐそこに控えている。それから、ダイステや10月になれば加州清光単独ライブだって。
じゃあいつやればよかったの?というのは……いつならいいのかわからないんだけど。
いつもいつも、アイアはキャパ少なすぎてチケット取れないじゃんってぎゃんぎゃん怒っているけれど、アイアのキャパを埋めるのは実は当たり前じゃないんだってことに気づかされた。

舞台の内容はというと、フォロワーさんが言っていた通りとても良かった。だから空席があるのが勿体無いとも思った。
君嘘の舞台は話の主題通りピアノとヴァイオリンの生演奏が披露される。正直、その演奏だけでチケット代の元はとれると私は思う。
アイアの音響は全く良くないと思っているんだけど、その音響設備でさえ演奏がぐいぐい心に響いてくる。
音楽ってものは、どうしてこんなに心を動かすんだろう。
全編を通して音が印象的に使われていて、全然そういうシーンじゃないのになぜだか泣きそうになってた。歳をとるごとに涙腺弱くなってだめだなあ。
青春のきらめきが眩しすぎる……

それから、自分が演奏者であることについてもちょっと語られていて。
自分が演奏をやめたら自分じゃなくなってしまうのではないか?演奏をしていない自分には価値がないんじゃないか?
だって、自分のアイデンティティは舞台の上にしか無いのだから。

……音楽に限らず、創作に関する活動をやっている人は誰しも多かれ少なかれそういう考えを持ったことがあるのではないかと思う。
だけど、芸術の分野で成功する人なんてほんの一握りで。それこそ公生とか、成功した人の下には公生になれなかった無数の屍が転がっているわけで。 どうにか折り合いをつけて芸術と良い距離感で付き合っていくほかないのだと思う。

芸術にはそういう側面があるから、舞台に上がっている間ってたしかに孤独だ。……だから、かをりちゃんが、私を支えてくださいって公生に頭を下げたところはぐっと来た。

で、最後の結末を知るとそもそもの「四月は君の嘘」っていうタイトル自体が壮大な伏線になっていることに気がつくし、泣きすぎて鼻水止まらんかった。

できることならもっと早くからチェックして、アニメも漫画も映画も完全に予習した状態でこの舞台を観に来たかった。
話は2時間でうまくまとめられていたけど、このシーンとこのシーンの間に私の知らないエピソード絶対あるんだろうなあ、というのは感じた。それが知りたい。
今日が東京千秋楽。

もし大阪公演行こうかどうか迷っている人がいるなら、間違いなく素晴らしい舞台だから今からでもチケット取って入ってほしい。 私はこれから漫画とアニメ見て復習しようと思う。